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2021.01.12

<映画:メリーに首ったけ> #ボビー&ピーター・ファレリー監督 #キャメロン・ディアス主演 #ベン・スティラー主演 #男の金と女の顔の等価交換 #ヘアージェル事件

 

2021年 明けましておめでとうございます。

新年初めの“No cinema、No life”は、選りすぐりのラブ・コメディ映画をご案内します。

 

1998年公開(20世紀FOX配給)、ファレリー兄弟監督、キャメロン・ディアス主演の『メリーに首ったけ(原題:There’s Something about Mary)』。

 

 

下ネタと犬への虐待(撮影は本物の犬ではない。アメリカ映画では動物イジメはR指定になる)があるので、R15指定ですが、大笑いして、ハッピーになれるシンプルなコメディです。

 

主人公は、飛びっきりにキュートで、誰もが首ったけになる魅力的な女性、メリー・マシューズ(キャメロン・ディアス)。

 

そんな彼女の高校時代、プロム(高校最大のイベント。卒業前のダンスパーティー)でのエスコート役を射止めたのが、冴えないのび太みたいな男子高校生、テッド(ベン・スティラー)。

 

しかし、プロムの当日の朝にテッドは下ネタ方面の大失態を犯し、町中の笑いものになり、メリーとのダンスは夢と潰えて、彼の恋は終わる。

 

 

それから13年。

テッドはメリーとの別れがトラウマになり、今なお、精神科医のカウンセリングを受けている。

それからも別の女性とも付き合わずに、彼女一筋に片思いを続けている。

13年前の青い春、高校時代のメリーとの思い出を頭の中で、今なおしがんでいる。重たい男である。

 

 

恋愛とは所詮「女の顔の良さと男が持つ金の等価交換」で成り立っている。

女にとって男の価値は成功と金が全てだ。

俺には、どちらも無い。彼は拗ねている。

 

典型的なパラノイアだ。でも、テッドの恋愛感は、遠からず外れていないと思う。

 

日本でも、本作が公開された当時の1998年は、「高所得」「高伸長」「高学歴」の男の3Kこそが結婚突破の威力であるとまだ信じられていた。

 

 

この男を測る3Kを全く保有していない僕は、村上龍さんのエッセイ「すべての男は消耗品である」を熟読して、「男は金ではない! センスだ!」の言葉に励まされた。

おじさんにはお金があるが、若い僕らにはセンスがあると自分に言い聞かせて、恋愛に突撃し、ことごとく撃沈しました。

 


 

さて、テッドのことをもう少し詳しく。

彼は三十路の小説家志望で、定職に就かずに出版社でフリーターのような生活をしている。
 小説家として成功するまで、愛しのメリーとの恋を再開することは、不釣り合いだと自分に言い聞かせて生きている。

 

いかん、いかん。

彼に自虐的な恋愛サイコパスの臭いがしてきた。

 

◆彼は、牛が反芻するように高校時代の彼女の面影を繰り返し噛みしめている。

◆しかし、彼はメリーの連絡先住所や現状すら知らない(その程度の間柄であった)。

◆メリーとの恋仲といっても、高校時代に手を繋いだ程度でキスもしていない(本当の恋仲とは言えない。妄想恋愛ゲームのようだ)。

◆そして、何より、彼女の居場所を突き止める為に探偵を雇っている。

 

 

 

これは、限りなく犯罪ストーカー未遂のアウト案件だと思う。

物語は、朝日放送の「あいつ 今なにしてる?」みたいなライトタッチな展開になりそうにない。

 


 

そして、メリーの現在。

 

三十路を超えているが、独身で自立したキャリアウーマン。

優秀な整形外科医で、マイアミのリゾートマンションで知的障害を持つ弟と二人で暮らす。

高校時代からのキュートな印象は変わらず、容姿端麗で快活。

 

 

フットボールが大好きでスポーツバーではビール片手に誰とでも仲良くなれる庶民派。

スポーツ万能で、よく笑い、よく食べる。

 

仕事の合間にコミュニティーでの生活困難な人々の支援活動に尽力する。

女友達も多く、下ネタや恋愛話で盛り上がる。

 

パーフェクトガールである。

 

男友達も多いが、最高のパートナーに巡り会えないことが彼女の悩み。

 

彼女は言う

『恋愛とは、二人がお互いに同じ価値観と感情を分かち合うこと』

『つまりは、お互いが似た者同士の感覚を持つこと』

 

そして、今の彼女は、自分の価値観にピッタリの白馬の王子様が迎えに来ることを待ち侘びている、と女子会で漏らす。

 


 

98年公開当時、「リアルな生活が充実し過ぎている」このキャラ設定にイライラするとの見方が少なからずあった。

 

蓮舫さんみたいな髪型をしたフェミニストの友達が、「何が価値観やねん」、「何が分かち合うやねん」と口角泡を飛ばしていたことを思い出した。

 

“白馬の王子様は絶滅し、女が男を選ぶ時代になった”

 

しかし、選びようにも、男が寄って来ない女たちはどうすれば良いのか?

顔で勝てない女はどうすれば良いのか?

 

酒場で映画オタクの女性たちから詰め寄られる。

メリーみたいなパーフェクト・ガールは幻想にすぎない。

 

 

この映画は「くだらない男の願望が詰まった妄想ラブストーリー」と辛口批判された。

 

しかし、僕はハッピーに笑えたけど。

それに映画オタクの彼女たちだって、程ほどにチャーミングでした。

 

確かに価値観が合うなんて幻想だし、「女の顔と男の金の等価交換」の経済原則が恋愛の本音であるかも知れない。

 

それでは、「顔も金も持ち合わせていない男」はどうすれば良いのか?

 

1990年代、二十代の頃の僕らの平和な悩みでした。

 

今思うと、映画の中の「パーフェクト・ウーマン」メリーへの嫉妬というよりも、その役を演じるキャメロン・ディアスへの嫉妬だったかも知れない。

 

彼女は、出演した作品の映画監督、共演した俳優、ミュージシャン、大リーガーなど数多くの超一流スターとの恋仲をオープンにしてきた。

彼女の自由奔放が、男に媚びを売るように見えたのかも知れない。

 

事実、本作での共演をきっかけに、マッド・ディロン(学園ドラマの人気アイドル)とキャメロンは交際をオープンにしていました。

 


 

話が逸れました(すいません)。

映画の本題へ戻します。

 

恋愛サイコパス(言い過ぎました)のテッドは、ついにメリーの居所を突き止める。

彼女は故郷のロード・アイランド州から1500km以上離れたフロリダ州マイアミで幸せに暮らしている。

 

彼女の未婚を確認したテッドは、13年越しの思いを告白するために、車で彼女に会いに行く。

 

 

舞台は彼女が暮らすマイマミに移る。

 

彼女は誰かに尾行され、部屋には盗聴器が仕掛けられている。

そして、誰かが窓の外から私生活を覗き見している。

 

部屋で下着姿のメリーは誰かに覗かれていることに気が付いていない。

 

「メリー、いくら開放的な街:マイアミとはいえ、夜はカーテンを閉めなさい」と言いたくなる。

 

この変態サイコパス野郎は誰なのか?

 

メリー、男をそう簡単に信じちゃいけない!

石野真子さんの「狼なんて怖くない」なんてお気楽に歌っている場合じゃない。

 

 

続きは、是非に本作をご覧ください。

 

エンディングのクレジットロールも是非、お見逃しなく。

 

ストーカー行為は許せないが、それを粘着質に描くのではなく、頓馬でおバカなコメディーに仕立てているファレリー監督のセンスが秀逸です。

 

 下ネタとか、動物虐待とか、ここまでは許せるどうかのコメディーの線引きは難しい。90年代は許されたけれど、今はギリギリのコメディー・ラインかも知れません。

 

 

それでは、また来週まで。

おやすみなさい。

 

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